年子姉妹とたのしむ育児

年子姉妹の子育て、小学校生活、家庭学習、子どもと過ごす毎日の暮らしについて、母親の視点で書くブログ

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直接褒められること、間接的に褒められること。

      2017/05/06

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今月、娘たちの小学校で学習発表会(授業参観)があります。

長女たち3年生は、学年合同で合唱を発表する予定で、長女はそのうち1曲のピアノ伴奏をすることになっています。(オーディションがあって、選ばれたそうです。全部で4曲あるらしく、そのうちの1曲を長女が弾くとのこと。)

ピアノを習わせている親としては、もちろん誇らしいし、学習発表会がとても楽しみ。子どもたち(3年生児童)も発表会に備えて練習を重ねているらしいのですが、昨日、学校から帰ってきた長女がこんなことを言っていました。


「今日の合唱練習のときにね、○○○先生が、ひとり言みたいな小さな声で、『□□□(長女の弾く曲のタイトル)のピアノがいちばん上手だな。』って言ってたのが聞こえたの。もう、私、嬉しくて!」

そう話す長女は、本当に嬉しそうな、誇らしそうな表情をしていました。

○○○先生は、ほんとうにひとりごとを言ったのかもしれないし、もしかしたら、長女にだけ聞こえるようにそう言ってくれたのかもしれません。(私はその先生を知らないので、なんとも言えません。)

間接的に褒められる嬉しさ

面と向かって「上手に弾けたね」「きれいなメロディだね」「前よりもずっとなめらかに指が動いているね」「聞いていて楽しい気持ちになるよ」と褒めることももちろん大切だと思うけれど、こういう”間接的に褒められる”という経験がいかに子どもを喜ばせるか、改めて感じました。

大人でも、「わー、素敵なヘアスタイル!」とか、「○○さんてほんとにマメだよね~」と直接褒められればもちろん嬉しいけれど、誰かから「○○さんがあなたのこと褒めてたわよ」と聞くと、また別な、くすぐったいような嬉しさを感じますもんね。^^

日本人は、気恥ずかしさからか、謙遜からなのか、「言わなくてもわかるでしょ!」的感覚なのか、褒めるのがあまり得意ではない、という人が多いように思います。(昔は、褒める=甘やかす、付け上がらせる、的な価値観もあったのでしょうか?)

でも、こと子育てにおいては、「声に出して言う(褒める)」ことが肝心。私も日ごろからできるだけ声に出して言う(褒める)よう心掛けています。

人格を褒める? 行為を褒める?

子どもを褒めるときに、もうひとつ、私が意識しているのは、「人格を褒めるのか、行為を褒めるのか」という点。

叱るときは、人格ではなく、行為そのものを叱るように・・・と育児書には書かれていますよね。(「こんなことをするなんて、なんて悪い子なの!」というのはNGで、「これはよくないことだからやめなさい」はOK)

褒めることに関しては、人格を褒める(「○○ちゃんはがんばりやさんだね」「○○ちゃんは優しいね」)こともNGではないような気もします。

でも、子どもの性格によっては、褒め言葉がプレッシャーというか、縛りのようになってしまって、「頑張り続けばければ」「優しくあり続けなければ」と思わせる原因にもなりかねません。

(うちの場合は、次女はそうでもないけど、長女がその傾向アリな気がします。)

なので、私はできるだけ、「お手伝いをしてくれてありがとう。助かったわ。」「もうこんなに難しい本が読めるなんてすごい!」「包丁を使うのが上手になったね~」と、”行為”にフォーカスして、具体的な言葉を使って褒めるようにしています。

いつもそうできているわけではありませんが・・・(^^;

「自分が頑張っていることをお母さんはちゃんと見ていてくれているんだ。」
(勉強、楽器、スポーツなど、目標を持って努力しているとき)

「何気なくしたことなのに、お母さんは気づいてくれたんだな~。」
(ちょっとした親切や、善行に、大人が注意を払ってくれたとき)

”褒められた”ときの子どもの顔は本当に嬉しそうで、その顔が見たくて、意識的に褒めることを心がけているのかもしれません。

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